小暮智美blog ~ともの とことこ 舞台日記~

劇団青年座所属 女優7人演劇ユニット『On7』も自主運営 福島県会津若松市観光大使

in 長崎 Part3

2日目は真新しい長崎県庁の屋上スペースに朝食を持込み、ご飯Time✨

(因みに飲食OK🙆‍♀️)

テラスになっている所は最高の眺めで、屋根がある所も全面ガラス張りで、それはそれはとても気持ちの良いスペース😊

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パノラマ写真✨
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Wi-Fiも完備し、食堂もあり!

気兼ねなく入れる県庁でしたー!!

職員さんが続々と休憩しにいらっしゃるのも頷けます😊

 

 

さーて、睡眠もバッチリの2日目‼︎

足取りが明らかに軽いです✨

 

2日目は「明日」に出てくる登場人物達の痕跡を求めて探索します

私のやらせて頂く登場人物の名前は

福永亜矢さん

1945年当時、長崎大学附属病院の看護師さんで内科勤務です

 

先ずは現在の病院を訪ねます

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大学坂を登り、上を向くと大きな病院が現れます 

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きっと亜矢さんもこの坂を沢山登った事でしょう そして1945年8月9日11時2分にはどう考えても亜矢さんは早番で勤務しているという事実が描かれています

そして爆心地から700mの小高い丘の上に建つこの病院は、外形は残ったものの、爆風と熱線により内部は破壊され尽くしてしまい、犠牲者は学長、職員、学生、患者で892名にもなり、内200名は患者の方がお亡くなりになったとあります

その中に亜矢さんが居たかどうかは確かめる術もありませんが…

ただただご冥福をお祈りさせて頂きます

ここに亜矢さんが居ました

病院の周りを歩き、少しだけ中に入らせて頂いたりしたのですが

とにかく沢山の患者さんがいらっしゃり、昔も今も皆んなの頼りの病院だったんだなぁと感じます

 

病院の外にあった慰霊碑です

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そして敷地内には被曝に耐え抜いた大楠

この木も被害にあったものの、翌年の1946年には新芽を出し始めたとのこと

今も悠然と立ち、そして日陰をつくってくれていました
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そして病院から、更に上に上に登っていくと、長崎医大があります

恐らく亜矢さんが通った大学附属医院看護婦養成所もその辺りにあったのでは?と、推察します

 

とにかく坂が凄いんです。

坂の角度がです。

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1日目ももちろん感じましたが、2日目で更にその洗礼を受けた感じです

歩いても歩いても坂。。

本当に坂の町、長崎です

でもね、登りきってみると、長崎市が遠くまで見える!これまた気持ちいい!

これが日常だとどんな感じなんだろ?

そういえば自転車乗ってる人少ないなぁとかf:id:tomokogure:20220708222209j:image

と、言ってる辺りが亜矢さんの看護婦時の下宿があった付近なのでは?と、予想しています

医大に通う学生さんの寮のようなものもありますし。

「明日」原作の小説に亜矢さんが住んでいる場所の説明が少しだけあるんですが、そこから考えるとこの辺りだと思うのです

病院に通うには都合が良い場所です

そして今はですけど、坂をおりないと八百屋さんもお肉屋さんも無い感じの所。

昔もお買物は坂の下でしてたのかな?

いやいや、1945年当時は配給制度が日常。

看護婦さんとか病院に勤める人とかの配給はどうだったんだろ? 夜勤や宿直を繰返す中でこの緊急時ご飯とかどうしてたんだろ?

…色々想像しますね

 

色々考えていましたら、門柱が出てきました

長崎医大の旧門柱です

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こちらは右側
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そして左側

傾いてるのが分かりますか?
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こんなに小高い山に囲まれて少し隠れてる感じなのに、ここまで衝撃波が届く。更には石の門柱をズラすまでの力。。

計り知れない力が働いたと少し体感できます

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細めの門柱はもろとも崩れる

そしてそこに置いてあります

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門柱の周りには沢山のメッセージ。。
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そして門柱を左右に見て、階段を上がっていくと…

校舎の中庭には角尾学長の石像もありました

たまたま角尾学長は東京から帰られる途中、広島を通過されたので、ありのままの広島の様子を亜矢さん達、職員にも伝えていました

そして8月9日のその時も亜矢さん同様に病院に居て、角尾学長は大怪我を負いながらも直ぐに負傷者の治療に奔走したと記録されております

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原爆資料館には角尾学長が、まさしく8月9日当日履いていたズボンが展示されています

血の痕があります
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なんと運命とは無情なのか…同じ場所に居ても生きる者、亡くなる者、

そして命の繋がった方達が、必死に再生に向けて動きだす

壊すのも人間、再生するのも人間

哀しい皮肉です

 

角尾学長さんの胸像が何かを語りかけてきます

 

でも確実に未来は繋がってる

私が病院から医大の方に向かって急な坂道を登っていた時、猛ダッシュで坂を降りてくる白衣に聴診器のお医者さん。急遽呼ばれたのかな?という様子。

 

角尾学長や関係者の皆さんが戦中•戦後の混乱の中、尽力に尽力を重ねたからこそ、こんな一所懸命な先生が居ます

そんな事をお伝えしたくなりました

私が伝えなくても、十分に見つめてらっしゃいますよね

どうぞ安らかにお眠り下さい。。

 

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遠くに見える病院。。

 

 

汗をかきながら町を歩く中で、色んな事を考えた時間。。

2日目はまだまだ続く。。

 

 

長〜いブログになってしまいました

とりあえずPart3はここまでとさせて下さい

 

また引き続き書いて参りますね

 

1日お疲れ様です🍺