小暮智美blog ~ともの とことこ 舞台日記~

劇団青年座所属 女優7人演劇ユニット『On7』も自主運営 福島県会津若松市観光大使

箱庭演舞曲『父が燃えない』出演します❗

今回 出演させて頂く 箱庭演舞曲さんは
同郷の先輩 古川貴義さんが上京し仲間と結成し 続けてらっしゃった劇団です
私も役者を目指して上京後
箱庭さんの舞台を観に下北沢の劇場に足を運びました
演劇を学んでいた私にとっては 届きそうで届かない けれど なんだか身近で…今でも忘れられない下北沢での時間です

数年後 私は青年座に所属し その青年座に古川さんが作家として 新作を書き下ろして下さり 更にその作品に出演の機会があり 更にはその作品が地元・会津の作品…
あぁ 芝居を続けるとこんな事にもなるのだなと嬉しく思いました

今では 地元・会津で 市民参加の手作り舞台を 古川さんと共に創る という機会にも恵まれています

更には 今 箱庭さんの作品に…

今回も地元・会津が舞台です
なかなかに 私も古川さんも故郷というものが
ある意味テーマになるんだなと…逃れられない…逃げてはいけない…いや…大切な…大切なんです

皆さんの 何かに 細やかながら 響けばいいなと
そんな 作品になればなと。。

丁寧に稽古してまいります!!

是非 劇場へ 浅草です
遊びにいらしてください

心よりお待ちしております



箱庭円舞曲『父が燃えない』
原作・脚本・演出 古川貴義

◼タイムテーブル
9月26日(水)     19:30
9月27日(木) 14:00 19:30
9月28日(金)     19:30
9月29日(土) 14:00 19:00
9月30日(日) 13:00 17:00

(受付開始・当日券の販売は開演時間の45分前、開場は開演時間の30分前です。
開場と同時に、整理番号順にご入場いただきます。m(__)m)

◼チケット料金
日時指定・整理番号付き自由席
前売 4,000円 当日 4,500円

◼チケットお申し込みhttps://www.quartet-online.net/ticket/26?m=0ebibge


◼会場
浅草九劇  MAP
〒111-0032 東京都台東区浅草2-16-2 浅草九倶楽部 2階
東京メトロ銀座線 浅草駅 1番出口より徒歩10分
都営浅草線 浅草駅 A4番出口より徒歩10分
首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス 浅草駅 A1番出口より徒歩5分

お車でお越しの方・・・駐車場がございませんので近くの有料駐車場をご利用ください

◼出演
白勢未生(箱庭円舞曲)
相馬圭祐
林和義(VAICE★)
小暮智美(青年座)
安川まり
片桐はづき
井上裕朗(DULL-COLORED POP)
小山貴司
秋本雄基(アナログスイッチ)
古川貴義(箱庭円舞曲)


観劇のご参考になれば是非
↓↓

ーーーOutline(あらすじ)ーーー
現代、会津若松市の火葬場、待合室。
市営の火葬場は市街地から離れた辺鄙な場所にあり、訪れる人が居なければ職員も出てこない。
よく言えば静謐な空間である。
人の出す音よりも、虫や風の音の方が姦しい。

遺体が燃え尽きるのを待つ人々は、故人の思い出を問わず語りに語り合う。一体どんな人間だったのか、何をして、何をしなかったのか。父母や親族との関係、友人との交流、家族との珍事。故人がどういう人間だったかを、それぞれが勝手に語り尽くす。
語っても語っても出てくる、出てくる、また戻る、同じ話が繰り返される、捉え方が人によって微妙に違っている、でも答えは分からない、故人しか分からない。
同じとき、同じ場所で、同じ時空を共有していたはずなのに。
あの人はあの日、何を考えていたんだろう。

遺された私たちには、想像することしかできない。

原作・脚本・演出:古川貴義


更にご参考になれば是非
原作・脚本・演出:古川貴義 からのメッセージ
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ーーーIntroductionーーー

自分のことを書こうと思ったら、他人の話ばかりになってしまう。
毎回そうなのだ。
箱庭円舞曲の台本を書くときは、自分の内側にある、
現代社会の中で生きていくために発生する、切実なわだかまりを描こうとする。
誰かとの軋轢、誰かとの齟齬、誰かとの不和、摩擦、確執、対立、葛藤。
自分を描くためには、常に誰かが必要になる。
それは、そうなのだ。
自分が自分であるということは、自分だけでは担保できない。
あなたがあなたであることを認めてくれるのは、あなた以外の誰かなのである。
回りに誰かがいるから、あなたはあなたでいられる。
だから、必死で自分のことを書こうと思っても、他人の話にばかりなってしまっていた。
そういうことなのだろう。

ならば。
私を、私として最初に認めてくれたのは、誰なのだろう?
両親のどちらかである可能性が高い。
生まれてきた瞬間を見た、ということであれば、母よりも助産師や医師が先になってしまう。それでは味気ない。
では命名してくれた瞬間だとしたらどうだろう。
私の名前を付けてくれたのは、父だ。
あの父のことだから、私がまだ母の胎内にいるうちに、考えに考えて決めてくれていたはずだ。
祖父の名前から一文字受け継いでいた父は、同じ一文字を私にも受け継がせた。
私も子を持つことになったら、その一文字を引き継ごうと思ったこともあったが、やめた。
一文字あろうがなかろうが、家族は家族、血縁は血縁だ。

そんな風にして、父の話になった。
父は、福島県耶麻郡磐梯町大字更科字大曲で生まれ育った。
1950年8月4日に生まれ、2017年12月29日に死んだ。享年68歳。
友人も多く親戚づきあいもまめだった父の葬儀には、たくさんの人が訪れ、香をあげてくれた。一介の地方公務員の葬式にしては、盛大だったと思う。
長くはないかもしれないが、濃い生涯だったのではないだろうか。
若かりし頃は宮沢賢治に憧れ、詩作を志し、芝居にも片足突っ込んでいたらしい。
自分が演劇なんぞを始めてから、叔父から聞かされた。驚いた。
我がことを我が子に語らない父だった。
戒名は「堅峰直英清居士」になった。
私に引き継がれた一文字は、含まれていない。

一度、父の話を書いたことがある。
2011年9月に、日本劇団協議会主催で上演していただいた『父が燃える日』という作品である。還暦を迎える父を労おうと、子供たち三人で家族旅行を計画し訪れた旅館での、数日間の物語だ。
もちろんフィクションだが、前年の夏、父を実際に還暦旅行に連れ出しており、「もしもあの時、実はこうだったら?」「もしもあの時、こうなっていたら?」と妄想を膨らませながら書き上げた記憶がある。
この公演は、あまり私の芝居を観に来なかった父が、珍しく観に来てくれた。
自作を観てもらったのは、10年ぶりくらいだったと思う。
観終わっての感想は、ほとんどなかった。
こちらも恥ずかしくて照れ臭くて、ちゃんと聞こうとしなかった。
聞きたくても聞けない今となっては、後悔するほかない。
父は、あの作品のことをどう思っていたのだろうか。
父は、私のことをどう思っていたのだろうか。

私を人間として最初に認めてくれた彼を燃やしながら、
こんなことばかり考えている。
人間は、なかなか燃えてくれないものだ。