さーーて本当の最後の旅日記になります
前回きら続きます
グラバー園を出て、トルコライスとミルクセーキでエネルギーチャージしてから、
原爆資料館とは違う角度から長崎の歴史を知りたくて、歴史資料館に向かいました‼️
大きくて立派な建物で、和風デザインです✨
長崎が鎖国時代に、日本の玄関口になって様々な国の文化を受け入れ、更には日本の文化や産物を海外に輸入する場所にもなっていたという事が、詳しく分かる展示でした
そして何と言っても、主役は、坂本龍馬さん‼️‼️
何処を見ても、坂本龍馬✨と言っても過言ではないくらい、龍馬さんの功績が讃えられていました❗️
今回の旅は1945年8月8日を軸に色んな所をまわってきたので、あまり龍馬さんには触れずにきたのですが、最後は沢山の龍馬さんに会えました✨
昔の写真機で龍馬さんとパシャリ🎥
昔にならい15秒〜30秒止まってねば撮れない写真機✨
微妙に動いているのか、ブレてしまう。。
でも嬉し。。
そしていよいよ、長崎での滞在時間も少なくなってきました
2つ入り口があり、今は中で繋がっていないようで、一回出てから、もう一方へ入るという形でした
中はとにかく立派な作りで、各部屋が独立してあり、扉を閉めれば密室の空間にもなるような感じです
この防空壕の一室で、長崎市市長や役人さん達が1945年8月9日11時頃、6日に起こった広島の新型爆弾の事について会議をいざしようとした時、その瞬間、長崎に原子爆弾が投下されました
防空壕の中に爆風は入ってきたようですが、特に被害は無し
最初は何がおきたのか全く分からない状況でいたところ、長崎の無事だった所からの連絡を受けそんな大した被害は無かったと判断した所からの、、時の経過と共にいよいよ大変な事が起こったという風になっていく無線などのやり取りの過程が、防空壕の中にも記されていました
何故?写真を撮らなかったのか。。
そのやり取りは、得体の知れないものの詳細が少しずつ見えてくる。。
かなりリアルなものを感じました。
防空壕の中の圧迫された空気感から色んな事を想像しました。
まだこの防空壕は広い方で、自分達で作ったような防空壕はどんな感じだったでしょうね。。
立山防空壕を後にして、街中の空気を感じながら、長崎駅に歩いて向かいます✨
本当ーーーに、坂•坂‼︎•坂の町‼︎‼︎
足腰が鍛えられること間違い無し‼︎
あ!蝉の抜け殻も✨
そしてマンホール😊
長崎市の花は紫陽花✨
そして星⭐️のマークは平和を願って✨
長崎大仏を横目に見ながら😊
1597年2月5日京阪地方へ伝導していたフランシスコ会宣教師6人と日本人信徒20人が処刑された丘です。
キリストが十字架に架けられたゴルゴタの丘に似ていることから、信者達がこの地を処刑の場に願い出たのだといわれており、二十六聖人の殉教以降も多くの人々が“火あぶり”“水責め”“穴吊り”といったむごい手段でもってこの地で処刑されました。
戦後、原爆の破壊から立ち上がった長崎は殉教地であった小高い丘を公園にかえ、昭和31年、長崎県はこの丘を史跡に指定。
26人の殉教者が列聖して100年目の昭和37年に二十六聖人等身大のブロンズ像嵌込(はめこみ)記念碑と記念館が建てられた西坂公園ができました。また、昭和25年(1950)には、ローマ教皇・ピオ十二世がこの地をカトリック教徒の公式巡礼地と定めています。
国とは、宗教とは、人の心とは、人の命とは?
最後に今は美しく整地されたこの丘で、得体の知れないものに圧倒されました
この丘から見える風景
現在はこんな感じですが、きっと昔は海まで見渡せたのだろうな。
ゴルゴダの丘に似てたからという理由が、、切なくやるせないですね。
この旅はもちろん沢山歩いたけど、心のパワーも沢山使わせて頂く、本当に充実の時間でした
少しでも「明日 ー一九四五年八月八日•長崎市ー」に活かせるように稽古に励みたいと思います
まだまだ深掘りできる町、長崎✨
また来たいです‼️
本当ーーーにお世話になりました✨
そしてありがとうございました✨
Part1〜8まで😊
長ーい旅日記になりました✨
最後までのお付き合いをありがとうございますーー❣️