2日目の続きを書いていこうと思います
長崎医大の敷地を出る時は新しい門柱の方から出たのですが、そこにはご年配の警備員さんが立ってらっしゃって、病院で働き終わったと思われる女性の方に「終わったの?お疲れ様ね」と声掛けをし、女性の方も「そうなのよ〜疲れちゃった」というやり取り
女性の方は、もちろん疲れてるんだろうけど、声は明るく、警備員さんと話すのが楽しそうなのが伝わってきます
何気ない会話だけど、なんか良いなぁと思いながら長崎医大と病院を後にしました
お次は坂を降りてきて
山王神社の一本柱鳥居に向かいます
明治元年(1868)創立の山王神社は、爆心地から南東約900mの場所の高台にあり、原爆の被害を受けました。社殿は跡形もなく崩れましたが、もともとは4つあった鳥居のうちこの鳥居だけが片方の柱を残し今も同じ場所に立っています
参道の上から鳥居を撮った写真です
そして説明にもありますがよく見ると、上の部分と柱部分の突起の四角部分の角度がズレています
というか、何故このような状態で残るのか本当に不思議ですが、凄まじい力が加わった事実が伝わってきます
鳥居をくぐり足元を見ると美しい石畳みの参道があります
この参道も戦火をくぐり抜け今もそこにあります
参道の横を見ると、鳥居の左側部分が置かれています
この写真は私1人しか写ってませんが、小学生かな?修学旅行グループも次々とこの鳥居に辿り着き、汗をかきながら、メモを取っていました
修学旅行の写真を撮るカメラマンの方も
この鳥居にスタンバイしてて、辿り着いた修学旅行生グループの写真を撮っていました
お話しさせて頂いたところ、昨年の12月位から徐々に修学旅行生が戻ってきてくれてますとの事。お話しされてるお顔にマスクの日焼け跡がしっかりとあり、暑いけど充実感が伝わってきました
プロのカメラマンにちゃっかりと写真を撮って貰うという。。
ありがとうございます
そして歩く!歩く!歩くーー!!
浦上川を真ん中に見て、西側に居たのですが、
浦上川を渡りまして左側へ移動します
何故バスに乗らなかったかと言いますと😊
私が演じる役、亜矢さんの目線で考えました
劇中にも出てくる結婚式の場面がありまして、
その結婚式の執り行われるお家が、東側にあります城山小学校の横を過ぎたあたりなんですね
亜矢さんの下宿があるであろう地区から、そこに行くには路面電車を乗ると返って都合が悪いなんだなと思い…きっと亜矢さんも結婚式が執り行われるお家には歩いて向かったのでは?
と、予測しまして🙃(あくまで予測)
当時の長崎に住む方々の徒歩での感覚が知りたくて、歩いて歩いて歩きまくりましたー!
かなりの炎天下を迎えた時間帯。。
汗びっしょりです!
結婚式が執り行われた自宅に近い、城山小学校を目指します
最後の階段❗️
辿り着いた‼️
Part4はこれくらいにしておきますねー!!
まだまだ続きます。。
1日お疲れ様です🍺