引き続きPart6書いて参ります
寺町の通りを歩いて、崇福寺に向かいます
原作の小説にあるのですが、
崇福寺やお寺やお墓などで、
福永亜矢さんは想い人の高谷藤雄さんとよくデートをしていたそうです
想像してたお寺とは違い、かなり中国風。。
というのも、中国の方がこの長崎に入ってきてくれて中国の方と日本の職人さんで創建されたお寺だそうです
時の重なりを感じる石垣も。。
フランス、オランダ、中国、そして長崎の玄関先となった出島。
様々な文化が至る所に感じられる長崎という街、歩いているだけで飽きません
こんなに大きな釜も!!
お隣の国、中国。長い歴史の中で交流し影響し合ってきたのは言うまでも無い。
時にはケンカもしたかもしれないけど、今も?してるかもだけど、仲良くしていきたいです
そしてこの時点でほぼ2万歩近く歩いてきて、気づいたらご飯を食べていない事に気付き、
町の中の中華屋さんに入りました✨
ひっくり返る位、ビールの一口目が美味しかったです‼️
1日目に食べた長崎チャンポンともまた違う味✨ 美味しかったーー❗️
お会計時に店主のお父さんが、「お味はどうでした?」と聞いて下さり、その一言でより美味しい時間となりました🙂
そして中華屋さんを出て歩いていたら、カステラで有名な文明堂さんが出てきました
そしてフト見ると。。
文明堂さんの社車が、カステラ色❗️
これは、そうですよね😊
そんなんで地味に楽しくなりながら、私の中でのこの旅のクライマックスの場所へ向かいます
私の役、福永亜矢さんは働いている病院で、
患者である高谷藤雄さんと出逢い、直ぐに意気投合し恋人になるのはとても早かった
高谷藤雄さんは三菱造船所の工員で、お国の為に働いているので、戦地には行っていなかった
退院後、逢瀬を重ねて信頼を深めていたが、2人の関係をひた隠しにする藤雄さんの態度に少し疑問を持ったが、さして問題はない事だろうと思っていた
1945年4月頃、高谷藤雄さんは広島の呉に出張との事、6月の末頃に帰ってくる予定。
でも今は1945年8月8日。。
もう帰る予定から40日以上も過ぎている。。
手紙の1つも無い
そしてもう一つは、お腹に命が宿っているという事。
ついこの間、高谷藤雄さんのご実家を訪ねたが、1人住んでいる母親からは何にもしらんしあなたの事も何もしらんと追い払われる。
全くどういう事なのだ。
八方塞がりの亜矢さんは、8月8日の昼頃、親友の結婚式に出席してから、
行く当てもなく、大波止の港に来てしまうのだ。。せっかくのお休みの日なのに。
妊娠3ヶ月、もしも赤ちゃんを堕ろすならば、ぐずぐずしておられる時期ではない
そして堕ろすにしても高谷藤雄の了解が必要。
そして何より赤ちゃんの事を高谷藤雄は知らないのだ
実家を訪ねても、けんもほろろ
亜矢さんどうしようもなくて
きっとこの風景を見ていたんだと思う。
そして長崎で1945年8月8日を芝居では描いているとしたら、藤雄さんが居るであろう広島には原子爆弾がおちているのだ
亜矢さんはそれがどんな事が知る由もないのだが…
今はこんな風に整備され美しくなっていますが、亜矢さんが見てた風景はどんなだったろう
私の目線の先は、三菱造船所の倉庫郡
1945年当時の長崎市に造船所は色んな所に工場があるのだが、藤雄さんはどこに通ってたのかな?
空の色が変わってきた。
大分長い時間、亜矢さんも8月8日の日は大波止に居たんじゃないかと思います。
私も亜矢さん時間。体感してみます。
夜の空になってきた。。
座っていたら、係りの人に、「フェリーくるんでどいてくださーい!」と言われる
え、ここ、そんな危ないの?なんて思いながら移動します
船到着の度に、これに藤雄さんが乗ってたらいいのにと思ってただろうな。
暗くなってきて、亜矢さんはようやく立ち上がります、そして下宿には戻らず、働く長崎医大附属病院の内科病棟に向かいます
そこで同僚と話す場面も「明日」には描かれます
今はこんなに綺麗な船着場です
昔はどんな感じだったのでしょう
なんだか胸いっぱいでホテルに帰りました
稲佐山の麓にあるホテルからは、長崎の夜景が見えます
亜矢さんを抱き締めてあげたい気持ちに駆られながら、街中の八百屋さんで買ったスイカ🍉をホテルのお部屋で食べました
Part6 の筆を置きます
いよいよ最終日の1日を書いていきますね